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スーちゃんの地元エピソード
実家は東京都足立区梅田で「田中屋釣具店」という釣具店を営んでいるおり、「釣り道具屋さんの娘さん」という事は多くの人が知っていたのですが、同じ足立区内に芸人のビートたけしさんの実家(ペンキ屋さん)も近くにありました。
たけしさんが子供の頃に、スーちゃんの実家の店に悪戯をしに行った事があるという事です、一体何をやらかしたのでしょうか?真偽のほどはわかりませんが、ビートたけしさんならきっと真実だろうと思ってしまうのは私だけではないでしょう。
*プロフィール*
田 中 好 子 (たなか よしこ)
生年月日:1956年4月8日
出身地:足立区
死没:2011年4月21日
身長:155 cm
女優
受賞歴:日本アカデミー賞 最優秀主演女優賞
アイドル歌手元キャンディーズのメンバー。
本名;小達 好子。旧姓:田中。
愛称「スーちゃん」。
キャンディーズ時代のスーちゃん
ニックネームは「スーちゃん」、キャンディーズのメンバーの中では最年少でしたが、ランちゃん(伊藤 蘭)やミキちゃん(藤村美樹)からは、スーさんと呼ばれていました。
存在感があったのですかね?
3人のデビュー曲の「あなたに夢中」から4曲目の「なみだの季節」までは、当時歌唱力を最も評価されていたスーちゃんが、キャンディーズ初期のセンター位置のリードボーカルを担当していました。
作詞作曲(共作を含む)も早くから行っていました。
作品には「LOVE ME LOVE ME」「ミッドナイト・ハイウェイ」「私の彼を紹介します」「季節の別れ」「一番星さん」「なんとなく」「午前零時の湘南道路」「PLEASE COME AGAIN」「いけない人」「土曜日の夜」がありますが、なかなかのファンでないとわからないかもしれませんね。
1978年(昭和53年)4月4日、キャンディーズは解散。
芸能界復帰へ向かった ほんとの話
1980年(昭和55年)、芸能界に復帰して、ソロシングル1枚を発表しましたが、その後は女優に専念して活躍しました。
スーちゃんが芸能界復帰の本当の理由は、当時骨肉腫で闘病生活を送っていた6歳下の実の弟が、スーちゃん(田中好子)の復帰を強く希望していたことっだたようです。
また、スーちゃんを後押ししたのは、萩本欽一さんの著書「欽ちゃんつんのめり」を読み感銘を受けて、自ら萩本さんの家を訪問しました。
その際に事情を聞いた欽ちゃんから「弟さんのために芸能界でもう一度一等賞を獲って、弟さんを喜ばせてやろうよ」と励まされたことだそうです。
知らないところでいろいろな人間関係があるんですね。
ちなみに萩本の家は偶然にもミキちゃん(藤村美樹)の家の隣であったそうです。
欽ちゃんの協力により、1980年5月の復帰会見を経て、7月の「欽ちゃんのどこまでやるの!?」にて正式復帰を果たしました。
しかし、姉の芸能界復帰を誰よりも喜んでいた弟は、スーちゃんが復帰を果たした翌年にわずか19歳でこの世を去ってしまいました。
スーちゃんが後に受賞した多くの主演女優賞を実弟に見せることは叶いませんでした。
1989年(平成元年)に公開された『黒い雨』で、主役・「高丸矢須子」役を演じ、日本アカデミー賞・ブルーリボン賞・キネマ旬報賞・毎日映画コンクール・報知映画賞などで主演女優賞を受賞しました。きっと弟さんも喜んでいたことでしょうね。
日本アカデミー賞などでは作品に対しても大賞を受賞し、第42回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で上演されました。
また、原爆症の表現のため、入浴シーンで体の変化を表現する為に敢えてヌードを披露し話題を呼びました。
この頃から演技派女優としての地位を固め始めたと評価されていますね。
スーちゃんの私生活は?
1991年(平成3年)5月21日、以前より親交のあった夏目雅子さんの実兄で実業家の小達一雄と結婚、田中は初婚だったが、小達は3度目の結婚でした。
後に闘病生活中のスーちゃんの存命中から、現在同居している子持ちの女性とすでに交際していた・・・という事は周知の話のようで、スーちゃんファンの私としては許せないですね。
小達は娘にあたる真由子を連れての結婚でしたが、スーちゃんとの間に子供は生まれなかったにも関わらず、スーちゃんは継子の小達真由子の事を実の娘の様に可愛がっていました。
どこに行くにも一緒で、学校行事にも積極的に参加し、非常に仲の良い母子だったと言われています。
一方女優としては母親の役を当てられることが多く、スーちゃんの子供役として共演した経験のある俳優は男性22人、女性25人で合計47人にもなるそうです。
そんなわけでスーちゃんはいつも「私にはたくさんの子供がいる」と言っていたそうです。
現実を受け入れて、前向きにとらえる人だったんですね。
*スーちゃんという人*
また女優以外に福祉活動にも熱心で、夫の小達一雄が白血病で亡くなった夏目雅子の実兄であることもあって「夏目雅子ひまわり基金」の活動や、厚生労働省の公衆衛生審議会委員、国立国際医療センター顧問、エイズ予防財団及び日本エイズストップ基金運営委員なども務めていました。
夫の小達一雄によると、結婚翌年の1992年(平成4年)乳がんが発見され幾度か再発を繰り返したが、いずれも早期発見で秘密裏に治療を受けながら芸能活動を続けていた。
そんな驚愕の事実が、スーちゃんの死去直後の記者会見において初めて公式に明らかにされました。
という事は自らががんと闘いながら女優業を続け、多くの福祉活動を行い継娘を育てていたことになりますね。なんと気高い人だったのでしょうか。
闘病の事実は親族のみに伝えられ、盟友であるランちゃんとミキちゃんですら、伝えられたのは死の約3年前で、共演者には一切明かされていなかったということです。
さらに2010年(平成22年)10月に十二指腸潰瘍を患い、その治療のため絶食をしたことで体力・免疫力が低下、乳がんが再発。
2011年(平成23年)2月には、がん細胞組織が急激に増殖するラッシュ状態となり、肺や肝臓にもがんが転移しまいました。
「ゴールデンウィークは越せないかもしれない。」と本人に余命を伝えたところ、「こんな事をあなたに言わせてしまってごめんね。」と夫を気遣いた。
さらに「私は大勢の人に支えられて生きてきたので、みなさんにお礼が言いたい。」と話したため、3月29日午後、夫とマネージャー立会いで葬儀の際流されたメッセージが病室でベッドのリクライニングを起こした体勢で録音されました。
キャンディーズ スーちゃん 最後のメッセージ
懸命の治療も甲斐なく、国際医療福祉大学三田病院にて逝去。55歳の生涯でした。
長年の盟友だったランちゃんとミキちゃんは、スーちゃんが危篤状態になった際、「2人とも家族同然だから」という親族の計らいで病室に呼ばれ、田中が息を引き取るまで、7時間にもわたって田中の名前を呼び続けていたということです。
スーちゃん(田中好子)の逝去の報に、『家なき子』で共演した安達祐実さんをはじめNHK連続テレビ小説『ちゅらさん』で共演した国仲涼子さんや毎日放送の単発ドラマ『筆談ホステス』で共演した北川景子さんなど、スーちゃんと映画、ドラマ等で共演した多くの俳優や女優、長年のキャンディーズフリークとして知られている自由民主党政務調査会長(当時)の石破茂さんなどが追悼の辞を発表している。
キャンディーズ全盛のころ当時10代だった男性の中には、未だにキャンディーズの根強いファンが多数いるんですね。
ランちゃんの娘・趣里さんは、2011年8月1日、女優デビュー後初の記者会見の場で、尊敬する女優としてスーちゃん(田中好子)の名を挙げ、「私もスーちゃんのような女優さんになりたいです」と語った。
一年後の命日の前日の2012年4月20日には田中好子のドキュメンタリー番組、「田中好子最後の180日」がフジテレビで放送された。
最後には田中の声を録音したテープが流され、涙をながした人も多かったという。
私が、そのうちの一人だったことは言うまでもない。