田中角栄 ロッキード事件の真実 葬ったのは

・田中角栄 ロッキード事件の真実 葬ったのは

「ロッキード事件」の発端は、国益優先即実行の日本の首相が、アメリカという世界に君臨したい勢力の「虎の尾を踏んでしまった」ところから始まった。

その発端とは、アメリカの傘下を離れ独自に資源供給ルートを確保する事だった。

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1970年代田中角栄元総理は自ら世界を駆け回って直接交渉する「資源外交」を大々的に展開していました。石油では市場を独占しようとするメジャーを振り切ってインドネシアやソ連と交渉したり、原子力のウランではフランス、オーストラリア等と独自に手を結ぼうとした。

つまり、石油メジャーやウラン・カルテルを形成する「資源帝国」とアメリカや欧州各国の思惑、そこを突き破ろうと突進した角栄の資源戦略の結末だということらしい。

角栄の失脚はこの資源外交の報復だとも言われ、それがアメリカ発「ロッキード事件」だとされている。

しかし、これを発端に確実に葬ったのは日本国内の権力争いがあったと言われている。

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『田中角栄を葬ったのは誰だ』(K&Kプレス刊)の中で、ロッキード事件当時、衆院議員議長秘書を務めた平野貞夫氏(元参院議員)は、『「NHKなどの報道は基本的に、田中角栄さんを逮捕した検察のやり方を追認、称賛するものに見えた。

しかし、私はむしろ逮捕のプロセスに大いに疑問を抱いている。田中さんは権力によって消され、真相は闇に葬られたのではないか』と、断じている。

いわゆる「ロッキード事件」とは、角栄氏が総理時代に、米航空機メーカー・ロッキード社の代理店だった丸紅から5億円の賄賂を受け取ったとされる事件で、5億円は、角栄氏が全日空にロッキード社製の大型航空機「トライスター」の購入を承諾させたことへの謝礼とされている。

角栄氏は1976年7月に外為法違反容疑で逮捕され、一審と二審で懲役4年の実刑判決を受けた。そして上告後の1993年、最高裁の判決を待つことなく他界している。

その事件の発端は1976年2月、米議会上院公聴会で、突然「ロッキード社が日本政府高官に工作資金を渡した」との疑惑が飛び出したことだった。このロッキード社幹部の衝撃的な証言により、角栄氏をはじめとする複数の政治家に追及の矛先が向けられ、国会は紛糾した。

当時、国会正常化に奔走したのが衆院議長・前尾繁三郎氏であり、その秘書が前出の平野氏だった。

その平野氏が「私は『ロッキード国会』と呼ばれたあの時期に、政治家や各党の動きを記した大量のメモをとってある。この事件は米国発だが、主要な舞台となったのは日本の政府与党の内部。その熾烈な権力争いの結果、敗れたのが田中さんだった」と語っている。

政治の世界は伏魔殿というけれども、その見本のような出来事っだったのかもしれない。

いずれにせよ関係者の中から多数の不審死者が出るなど、第二次世界大戦後の日本の疑獄を代表する大事件となった「ロッキード事件」関係者が存命のうちにさらに解明されることが必要ですね。
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