田中角栄元総理といえば数多くの名言がありますが、その業績の功罪を検証すると・・・原発、尖閣諸島、新幹線みんな角栄さんから始まったということです。・・・それってほんとですか?
田中角栄元総理を語るうえでは、ロッキード事件の関与などに代表される金権政治がよく取り上げられますが、田中角栄元総理が首相時代に手がけた政策の中で、現在の政治・社会が抱える課題にも大きく影響をおよぼしている「日中国交正常化」についての功罪を検証します。
■日中交渉のなかでの尖閣発言
田中角栄元総理の業績といえば、なんといっても首相となって2カ月後の1972年9月に日中国交正常化を実現したことがあげられますよね。
『日中国交正常化』の研究の第一人者国際政治学者の服部龍二氏の分析・考察によると、2011年の『日中国交正常化』は国内向けには田中元総理が政権発足時に掲げた「決断と実行」を強くアピールするものになったのですが、交渉の中で「外交能力を疑ってしまう」ような場面もちらほら出てくるそうです。
たとえば、ときの中国首相の周恩来との会談中、田中角栄元総理は唐突に「尖閣諸島についてどう思うか?」と発言してしまっている。
対し、周恩来首相は「尖閣諸島について、いま話すのはよくない。石油が出るから、これが問題になった。出なければ、台湾もアメリカも問題にしない」と、議論を避けたそうです。
・経験不足の幼稚な日本外交
尖閣諸島の問題は、1970年代に入ってから中国や台湾が領有権を主張し始めたことに端を発していますが、自民党外交調査会はこうした情勢を受けて、1972年の沖縄返還を前に、尖閣諸島が日本領であることを確認していた。
「日中国交正常化」以前に日本の領土であると確認しているにもかかわらず、唐突に尖閣諸島のことを周に訊ねたのは、日本国内の反発を抑えるためにも、言質を取っておきたかったからだと言われている。
だが、合法的に実効支配する領土について日本側から発言することは、相手に揚げ足を取られかねない。最悪、田中角栄元総理は言質を得るどころか、将来に禍根を残した可能性すらあった。
しかし周恩来首相がこの話を受け流したのは、議論をすれば収拾がつかなくなると瞬時に判断したからだろう、と服部氏は推測している。隣国・ソ連の脅威に対抗するため、アメリカや日本への接近をはかっていた周恩来首相は、領土問題を後回しにしてでも日中共同声明の調印を急いでいたということだ。…
言い換えれば田中角栄元総理は周恩来に救われたといえるかもしれないですね。
往々にして日本の政治家は国内では敏腕をふるっていても国政舞台、とりわけ外交交渉になると幼稚に見えることさえある。
普段自分の政治生命や党の事、自分への支持のこととばかり考えているせいか、伊勢志摩サミットの安倍首相のように国際舞台で稚拙な行動をとることがあるようだ。
念のため付け加えるとこの時の田中角栄元総理がそうであったのかは定かではない。
この一件からまなべることは、外交において国内政治の向けの文脈で軽々しい言動をとることはご法度、むしろ国際舞台では日本というのは島国であったせいか経験不足で下手な駆け引きも危険性が高いという教訓になるのではないかはないかということです。
確かに日中国交正常化は、田中角栄元総理の行動力だからこそ早期に実現できたのは確かで、首相に就任して2カ月後に自ら北京に飛び、5日間の首脳会談で国交正常化までこぎつけた。
服部氏も、《首脳会談で一気に進めていなかったら、交渉は長期化したに違いない。そうなれば、中国が尖閣諸島の領有権を主張するなど対日要求を強め、国交正常化は暗礁に乗り上げたかもしれない》と書いている。
日中国交正常化 [ 服部龍二 ]
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・コンピューター付きブルドーザーの仕事とは
政策のなかには早急に進めるべきものがある一方で、時間をかけて慎重に進めていくべきものもありますよね。
たとえば、田中政権の最大の目玉であった「日本列島改造論」は新幹線などの高速交通網・通信網の整備や大規模開発により、地方と大都市との格差をなくすことを目指したプランですが、本来、10年ほどかけて進めていく計画だったのですが田中角栄元総理が具体的な地名をあげてしまったがゆえに、当該の地域では土地の買い占めが行なわれ、地価が暴騰する結果を招いてしまいました。
このことは物価の高騰、ひいてはインフレの昂進をうながし、そこへ来て石油危機が起こったため、日本経済は大混乱に陥ってしまった。そうした失敗も沢山ありましたが、田中角栄元総理に対して、死後も彼のような存在を求める声が根強く存在すのは田中角栄元総理が今の政治家にはない、すばやい決断と実行でリーダーシップを発揮したからでしょうか。
ある人の評価が田中角栄元総理を非常に的確に評価していたので、引用します。
”人の評価は棺を蓋うて定まると言うが、田中角栄の場合、死後もなお評価は賛否両論、真っ二つに分かれたままだ。しかも「この行ないは功で、この行ないは罪だ」というふうに明確に分けることも難しく、前出のエネルギー政策のように、多くの業績が功と罪の両面を併せ持っていたりする。このことこそ、田中の手がけた仕事がいまなお影響力を持ち、私たちに課題を残しているという何よりの証しではないだろうか。”
→→ 田中角栄 その名言と功罪 その1
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